豊臣兄弟イラスト

秀吉・秀長年
(諸説あり)

history

〝戦国のメインステージ岐阜
ストーリーとともに秀吉と秀長、
二人三脚の歩みを追う。

“戦国のメインステージ岐阜”のストーリーとともに
秀吉と秀長、二人三脚の歩みを追う。

岐阜

左アイコン箇所は”戦国のメインステージ岐阜”や
その出身武将の歴史的ストーリーです(諸説あり)

  • 1537
    秀吉1

    秀吉誕生

  • 1540
    秀吉4 秀長1

    秀長誕生

  • 1549
    秀吉13 秀長10
    岐阜

    尾張で勢力を拡大していた織田信秀(信長の父)と、美濃を治めていた斎藤道三の和睦が成立。道三の娘・濃姫が信長に嫁ぐ。

  • 1551
    秀吉15 秀長12

    秀吉

    実家を出奔し、今川義元の家臣・松下之綱に仕える

  • 1554
    秀吉18 秀長15

    秀吉

    この頃信長に仕えたとされる

    岐阜

    信長と道三が会見。道三は信長の才能を見抜き「山城が子供、たわけの門前に馬を繋ぐ(いずれ自分の子供たちは信長の家来になる)」と案じた。

  • 1556
    秀吉20 秀長17
    岐阜

    長良川の戦いで、斎藤道三が子・義龍と戦い敗死。この際、信長も道三の救援に向かうが敗退。

  • 1560
    秀吉24 秀長21

    桶狭間の戦い

  • 1561
    秀吉25 秀長22

    秀吉

    ねねと結婚

    岐阜

    斎藤義龍が急死。その子龍興が美濃を継ぐ。

    岐阜

    信長、森部の戦い(現在の安八町)、軽海・十四条の戦い(現在の本巣市)で斎藤方に勝利したが、稲葉山城を攻め落とすことは出来ず。

  • 1563
    秀吉27 秀長24

    信長が清州城から小牧山城へ居城を移す
    信長の美濃攻めが本格化

    秀吉・秀長が、
    いよいよ”戦国のメインステージ岐阜”へ!

  • 1564
    秀吉28 秀長25
    岐阜

    竹中半兵衛が安藤守就の協力も得つつ、わずかな兵で龍興から一時的に稲葉山城(岐阜城)を奪取する。半兵衛が、主君である龍興を諫めるためだったともいわれている。

    岐阜

    信長が大沢次郎左衛門の居城であった鵜沼城を攻略。この際、秀吉が次郎左衛門を寝返らせたが、信長は大沢の武勇を恐れ殺害を命じたところ、秀吉は機転を利かせ大沢を逃がしたともいわれている。

    岐阜

    鵜沼城を落とすと、次に、信長は猿啄城を攻略。

  • 1565
    秀吉29 秀長26
    岐阜

    猿啄城落城前後、信長は加治田城の佐藤氏を内通させることに成功。至近距離に堂洞城を斎藤方に築かれるなど包囲されるも、信長の援軍により勝利した。

    秀吉

    墨俣一夜城を築城。

    稲葉山城攻略の最終決戦に向けた重要拠点となる

    墨俣一夜城
  • 1567
    秀吉31 秀長28
    岐阜

    美濃三人衆が信長方に寝返る。

    秀吉

    竹中半兵衛を勧誘

    竹中半兵衛のふるさと

    秀吉

    稲葉山城攻略で武功をあげる

    岐阜城
    岐阜

    信長、稲葉山城の斉藤龍興を滅ぼし手に入れた城を拠点とする。
    地名を「岐阜」と改め、ここを拠点に天下布武を掲げ始める。

    ※「岐阜」の地名は、尾張の禅僧である沢彦宗恩が信長に進言したといわれ、中国の「周の文王、岐山より起こり天下を定る」という故事にならえ考えたとされています。

  • 1568
    秀吉32 秀長29

    秀吉

    信長とともに上洛

  • 1569
    秀吉33 秀長30
    岐阜

    京の本圀寺にて、将軍・足利義昭が三好三人衆により襲撃され、明智光秀がわずかな兵で迎え撃つ。三好三人衆の裏では斎藤龍興が暗躍。

  • 1570
    秀吉34 秀長31

    秀吉

    金ヶ崎の退き口でしんがりを務める

    岐阜

    この撤退戦で、明智光秀もしんがりを務めたともいわれている。

    秀吉

    姉川の戦いに従軍し勝利。横山城を与えられる

  • 1573
    秀吉37 秀長34

    秀吉

    織田軍として浅井氏を滅し、北近江三郡が与えられる

    岐阜

    この時期に秀吉の子飼衆となった石田三成や大谷吉継、福島正則らは、後に関ケ原の戦いで激突することになる

  • 1575
    秀吉39 秀長36

    秀吉

    近江・今浜の地を「長浜」に改名し長浜城を築く

  • 1577
    秀吉41 秀長38

    中国攻め

    岐阜

    秀吉の軍師として知られる黒田官兵衛が荒木村重(信長に謀反)により有岡城に幽閉された際、信長は官兵衛が村重に寝返ったものと考え、官兵衛の息子(後の長政)の殺害を命じるも、竹中半兵衛の独断で助けたといわれる。
    後の、関ケ原の戦いで、この黒田長政と半兵衛の息子・重門が共に戦っている。

  • 1579
    秀吉43 秀長40
    岐阜

    竹中半兵衛、播磨の地にて死去

  • 1582
    秀吉46 秀長43

    本能寺の変

    秀吉

    京へ戻り(中国大返し)、山崎の戦いで明智光秀を破る

    岐阜

    明智光秀が本能寺の変を起こし、信長死去。この時、信長の側近を務めていた森蘭丸も討死する。

  • 1583
    秀吉47 秀長44

    秀吉

    賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破る

    岐阜

    近江で秀吉と柴田勝家が対立中、勝家側の織田信孝が岐阜城から挙兵。それに対するため秀吉が美濃へ向かうも、大垣城にて大雨で足止めをくらう。その最中に賤ヶ岳にて勝家がふたたび攻め込んだため、わずか5時間で大垣城から近江に帰還し、柴田勝家と戦闘。勝利を収めた。(美濃大返し)

    岐阜

    なお、金森長近はこの戦いで、当初、勝家側として秀吉と対峙したが、前田利家とともに秀吉陣営に転じて戦わずして撤退。その後、秀吉の傘下に入る。

  • 1584
    秀吉48 秀長45

    秀長

    大垣城の城主となる

    大垣城

    秀吉

    小牧・長久手の戦いで徳川家康と戦う

    岐阜

    秀吉が竹ヶ鼻城を水攻めにする。これは秀吉の生涯4度の水攻めの一つ。
    前渡不動山に秀吉が布陣し、徳川家康と対峙する。森長可が戦死する。

  • 1585
    秀吉49 秀長46

    秀吉

    関白となる

    秀長

    郡山城の城主となる

    岐阜

    金森長近が、秀吉の命で三木氏討伐のため飛騨に侵攻。翌年、飛騨国を拝領した。

  • 1586
    秀吉50 秀長47

    徳川家康が秀吉に従う

  • 1587
    秀吉51 秀長48

    九州攻め

  • 1590
    秀吉54 秀長51

    小田原合戦

    秀吉

    天下統一を達成

  • 1591
    秀吉55 秀長52

    秀長

    郡山城で死去

    千利休が切腹する

    岐阜

    古田織部は1582年頃から、利休と知り合い、弟子入りしたといわれている。

    秀吉

    関白を秀次に譲り、太閤となる

  • 1592
    秀吉56

    文禄の役

  • 1593
    秀吉57

    秀吉の別妻・淀殿、秀頼を出産

  • 1597
    秀吉61

    慶長の役

  • 1598
    秀吉62

    秀吉

    伏見城で死去

  • 1600
  • 現代
    岐阜

    「岐阜県庁」展望ロビーから「戦国のメインステージ」を一望できる。