美濃攻め
永禄四年(1561)、信長は義龍の急死をきっかけに美濃攻めを本格化させる。斎藤軍が手ごわく攻めあぐねたものの、信長は居城を小牧山城に移し、ここを拠点に犬山城、木曽川対岸の鵜沼城、猿啄城を次々と攻略。さらには加治田城の佐藤氏の内通を誘った。義龍の跡を継いだ龍興は人望がなく、信長の調略を受けた家臣団や国衆は次々と離反していった。永禄十年(1567)、美濃三人衆の内通を受け、信長は斎藤家居城の稲葉山城(岐阜城)を包囲。龍興は逃亡し、信長は城と美濃を手に入れた。
加治田城跡、堂洞城跡(富加町)
猿ばみ城落城前後、織田方へついた加治田城。至近距離に堂洞城を斎藤方に築ずかれるなど包囲されるも信長の援軍により勝利した。信長は城下の屋敷に一泊し、翌日には城下で首実検を行ったとされる。
加治田城と堂洞城(富加町公式ページ)岐阜城(稲葉山城)(岐阜市)
岐阜城(稲葉山城)鵜沼城跡(各務原市)
濃尾国境 木曽川中流域の城・城跡猿啄城跡(坂祝町)
濃尾国境 木曽川中流域の城・城跡墨俣一夜城(大垣市)
墨俣一夜城


